ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

ブルーライト・ヨコハマ

 横須賀まで車で行って軍港めぐりのクルーズを楽しみ,その日は横浜の氷川丸の近くの宿に一泊の予定でした。

 

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 あのあたりの道はそれはもう複雑なもので,私のような平野育ちの人間の理解の域を越えます。なぜ道はかくも上下しつつぐるぐる回るのか。なぜ高速道路が平行に何本もあるのか。防音壁のおかげで風景はまるで見えず,昔のウインドウズのスクリーンセイバーにあった,パイプが延々と伸びていくやつのそのパイプの中を走っているみたいです。


 こんな土地ではカーナビ頼み。カーナビ,ご存じですね。そう,車のダッシュボードに取り付けるモニター一体の装置です。中には賢い小人さんがいっぱい入っていて,どこそこへ行きたいと告げると総出で計算をして,目的地までの道を示してくれるアレです。でも,その日我が愛車の小人さんは機嫌が悪かった。案内されたインターを出ると,そこはとてつもない山の上。氷川丸どこだ。横浜港いずこ。小人さん大笑い

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※写真は本文とは関係ありません

 

 

 そこはおとぎの国。うねうねと続く傾斜地に,メルヘン調のマッチ箱のような可愛らしい家がびっしりと立ち並ぶ異様な街でした。さながら浦安ネズミーランドの中の街並みの如し。


 小さな家が並ぶ住宅地なら茨城にもあります。だが私の知る限り,家というのはもっと平らな土地に作るものです。傾斜の街というと長崎が浮かびますが,あそこは基本家々はみな港を臨むつくりで,しかし住む人それぞれの個性を現していました。でもいま私の眼前に広がるのは,かつての山の地形そのままに拓かれ,敷地いっぱいに建てられた四角い家がびっちりと立ち並び,しかし一軒一軒が意匠を変えつつもワンパターンなパステル調に染められて,まるで女子高生どうしが色違いの同じものを持って喜んでいるような光景であります。目の前に同じベクトルを示す無数の矢印が,しかし色もデザインもてんでばらばらに出現したような。


 私は理解しました。ああこれが,巷間言うところの「どうしてもヨコハマに住みたい人」の住む街なのだと。


 どう表現したらいいのでしょう,この気持ち悪さを。私はたまらず,うねうねとした街のくねくねと曲がる道を全速で駆け抜け,この山上のメルヘンタウンを脱出したのです。

 

 

 かつて東京湾に臨む一寒村だった横浜は,江戸に遠からず近からずの絶妙な地理条件から開港され,急速に発展しました。といっても人跡未踏の地ではなく,かの「徒然草」の兼好法師も武士だった頃に居住する一時期があったとか。開港後は外国人の闊歩するハイカラな町となりました。関東大震災のほぼ震源地で大きな被害を受けて,その時のガレキで埋め立てたのが山下公園。それすらも観光地になってしまう,もう誰が何といっても人気日本一のおしゃれタウン。数々のドラマや流行歌の舞台にもなった,その名を知らぬ人とていないエルドラド。今回笑ってしまったのは,外人墓地の柵(中には入れない)の外にいた親子連れの会話です。嬉々として記念写真を撮る母と姉を尻目に,
男の子「ねえお父さん,これ何が面白いの?」
お父さん「いいか息子よ,男には,わけわかんなくとも,とにかく女に合わせなくてはいけないことがあるのだぞ」

 

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 真理だ。こういう「わけのわからない価値」が独り歩きするようになれば観光地としては安泰ですね。ああブルーライト・ヨコハマ。さぞかし皆さん誇りをもって幸せに暮らしてらっしゃるのでしょう。

 

 

 ヨコハマというと,いくつかの事件を思い出します。最近では,福島から自主避難していた中学生が百五十万円も金銭強要されていたという,日本中が不愉快になった外道の顛末。ご丁寧に学校や教育委員会が加害生徒をかばうような発言をして,不愉快度を上げてくれました。何かの記事に,この事件は親の価値観や物言いがそのまま反映されていると書いてありました。あのうちはばいしょうきんていう結構なカネもらってんだよ。面白くないねえ。ウチに分けてくれたっていいじゃないかねえ。


 玄倉川遭難事件というのもありました。場所は足柄の山中ですが,横浜の廃棄物処理会社の社員の人たちだったとか。親切で,あるいは職務で避難を勧める人たちに罵詈雑言を浴びせ,いざ中州に取り残されると救助の人たちにまた暴言を投げつけ,事故後の捜索に立ち会う遺族がまた親切な地元の人たちに理不尽な言動をして。・・・ネットで「玄倉川」と検索すれば真偽不明の記事があふれ出します。不愉快になること請け合いですからご注意を。


 もちろんヨコハマ住まいの人全員がこれだとは申しません。ただ表面に浮かぶこれらの証左は,砂漠のように他者を突き放した,茫漠とした貧しいこころ。他者を思いやる余裕のない断崖の人たち。見るも不快な浅ましさ。これが本当に,夢の町に住む人たちなのでしょうか。

 


 中学の同級生で,仲のいい女の子がいました。ごく自然に親しくて,一緒に海に行った事もありました。今時ならすぐにセックスだなんだと面倒なことになるのでしょうが,私も彼女も当時の普通の子供だったので,それ以上は何もありません。ただ,もしそのまま高校大学とそばに居たなら,何の迷いもなく結婚していたかもしれない。それくらいごく自然に親しい子でした。
 そして,これも当時はよくあったことなのですが,彼女は家の都合で高校には進学せず,親戚のいる横浜に出て働き始めました。中卒で大した働き口があるわけでもなく,そこは住宅地の小さな喫茶店。客の男子中学生のテーブルでご注文はと聞くと,その餓鬼どもはテーブルにドカンと足を乗せてタバコをぷかーっとふかして一言「おんなぁー」とわめきました。彼女自身もやがて,近所の寿司屋の馬鹿息子に処女を奪われて捨てられました。それでも何年かは年賀状のやり取りが続いたのですが,いつしかそれも途絶えました。

 

 以来,横浜はこういうヤカラの育つ住む街だと思っています。リセットできない。

 

 

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