ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

指揮官・木村昌福

 かっこいい男がいました。名を木村昌福。「まさとみ」と読みますが,周囲は親しみをこめて「ショーフク」と呼びました。人呼んでヒゲのショーフク。ぴんと横に伸ばしたカイゼルひげが頭の両側にはみ出し,それが後ろからも見えたそうです。太平洋戦争時の,海軍の一指揮官でした。


 大戦前半は巡洋艦の艦長。口うるさいことは一切言わず,大抵のことは部下に任せ,それをニコニコと見守っていました。


 敵機から魚雷攻撃を受けたときのこと。艦を左右に振って,操艦を任された部下が次々と魚雷を避けます。しかしとうとう左右同時に迫る魚雷に避けようがなくなり,部下が木村の顔を見ます。


「まっすぐ行け」――部下が困ったときだけ指示を出したのです。艦が受ける損害を,自分の責任にするためでもありました。これが木村という男。ところが,直進する艦に目前まで迫った魚雷は,なんと自ら針路を外して行ったのです。突然不具合が生じたのでしょう。いつでも天が手を差し伸べる,そんな強運の持ち主でもありました。


 大戦後半,負け戦の時期になって水雷戦隊の指揮官になりました。ひと悶着のあと任された仕事は,敵が取り囲むキスカ島から5800人の将兵を連れ帰ること。凍てつくアリューシャンの海に浮かぶ孤島,いつでも精強な米軍機と大艦隊が待ち受けています。半分も連れ帰れたらまあ成功だろう,艦隊も半分は沈められるだろう,そんな無茶な作戦でした。しかし木村は全員生還を期し,綿密な作戦を練り上げます。そして出撃。ところが,成功のカギとなる天候がさっぱり好転しません。木村は,非難を覚悟で引き返します。

「帰ろう,帰ればまた来れるから」――強行して多くの人命を失うことを避けたのです。死ぬのがホマレ,という当時の風潮では特異なことです。当然,道半ばで帰投した木村は非難の嵐にさらされますが,意に介しません。そして待ちに待った天候条件の到来時,信じられないような幸運の連鎖をまたも引き寄せ,一兵一艦も失うことなく,敵に気付かれずに5800名を日本に連れ帰ることに成功したのです。


 その後も,連戦連敗の日本海軍にあって担当する作戦をことごとく成功させ,大戦を生き抜きます。戦後は木村を慕う部下たちのために事業を立ち上げ,これを軌道に乗せました。最後に胃癌で亡くなるのですが,その葬儀のとき,それまで晴れていた空がにわかに掻き曇ります。参列した誰もが,天も木村の死を悲しんでいるのだと思ったそうです。

 

 リーダーなどという考えるだに厄介な仕事を避けてきたのに,とうとう主任を任されました。優秀な,ゆえに癖のある若いひとたちを統率し,その下にいる三百二十人に対して責任を負わねばならぬ職務です。これまで何十年も下っ端ばかりやってきて,自分のことだけを考えてきたのに。困った末に手本としたのがこの木村昌福です。部下を信じ,人を育て,責任を負う。水雷戦隊の指揮官になって強大な米海軍に立ち向かう,そんな気概でありました。それが5年前。


 結果はご想像にお任せします。

 

 

 

 ↓ ごめんなさい,30分で描きました。

 

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