ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

JCO臨界事故の記憶【過激注意】

 わたしは,生きている。あなたも,生きている。本当に?
 実はもう死んでいないか。此岸を生きているつもりで,実は彼岸のかなたから生ある世界を覗いているんじゃあないか。

 

 今日を生き延びることは1日死に近づくことだなんて,そんな落語みたいなことは言いません。もっと生物学的な,生と死を。

 

 そもそも生とは何か。こう書いているこの瞬間も,私の体の中ではたくさんの細胞が死んでいる。その数,1日あたり3000億個。1秒間に300個以上。

 

 恐れるな。その死ぬ数と同じだけ,新しい細胞が生まれている。1日当たり3000億個。何のことはない,収支は損得無しなのだ。

 

   生 / 死 = 3000億 / 3000億 = 1

 

 我々の体には,死ぬことで用をなす細胞がたくさんある。皮膚の表皮細胞,腸の粘膜細胞,免疫細胞,などなど。そして死んだ仲間を補って,新しい細胞がその場所を埋める。これが細胞の代謝であり,代謝が正しく行われている状態,それこそが「生きている」ことなのだ。

 

 さてここで,ある人の心臓を止めたとしよう。技術的にはたやすいこと。人々はその人が亡くなったと考える。しかしまだ,体を構成する60兆の細胞のほとんどは死んでいない。だが細胞の代謝には大きな影響が出る。

 

 血流は,全身の細胞に酸素と栄養分を送り続けている。細胞はこれを用いて「呼吸」と呼ばれる反応を行い,生命活動のエネルギーを作り出している。血流が止まると,この呼吸も止まる。また,血流が止まることで老廃物や毒素も溜まる。数分後,生まれる細胞が半分に,死ぬ細胞が倍になったとしよう。

 

   生 / 死= 1500億 / 6000億 = 1 / 4

 

 細胞代謝の収支は崩れた。生きている細胞は失われていき,この値は秒刻みで小さくなっていく。この,収支の値が1を割り込んだ状態が死である。

 

 思い出してください。東海村の臨界事故で被曝した作業員たちを。特に,20シーベルトの,あろうことか中性子線を浴びてしまったあの人を。

 

 この絶望的な量の中性子線は,全身の細胞のDNAを破壊し,染色体を引きちぎった。結果,細胞の分裂能力は失われてしまった。これがどういうことかわかるだろうか。体の中に,新しい細胞が生まれなくなったということだ。3000億,いやこの場合細胞本体にもダメージがあるのでそれ以上の細胞が1日に失われていく。失われる細胞を仮に6000億として,

 

   生 / 死 = 0 / 6000億 =

 

 6000億という数字に意味はなかった。ご理解いただけるだろうか。あの人は,1999年9月30日のあの瞬間に,実は死んでいたのだ。被曝直後に嘔吐し一時意識を失ったというが,痛くもかゆくもなくこの人は自力で救急車に乗った。しかし細胞収支という尺度では,その時にはもう死んでいたのである。

 

 単純な計算をもう一つ。死ぬ細胞6000億。体の細胞60兆で割ってみる。

 

   6000億 / 60兆  = 1 / 100

 

 1日あたり体の百分の一の細胞が失われていくということ。さあこの人がこの世から消滅するのは何日後?

 

 過去の外国の臨界事故では,死亡するのは数日から長くても3週間後だった。この人も何もせず静かに看取ってやればその範囲で死ねたはずだ。しかし日本の原子力には利権が多い。元を正せば税金である金を湯水のように使う快感に毒された人々がたくさんいる(水戸の大工町には原子力関係者専用の高級クラブというものも存在した)。死人が出てはよろしくない。かくてこの作業員は東大病院に搬送され,その道の権威という医療者たちに託された。
 もちろん日本の医療者は,目の前に患者がいれば全力でこれを救おうとする。かくして,ありとあらゆる延命治療が施されることとなる。担当の看護師の看護記録簿,その「最終目標」には「集中治療室を退出できること」と書かれたという。

 

 想像してください。いくつものチューブにつながれ,表皮を失くし生皮をはがれたような全身から体液がじくじくと漏れ続け,腸は内壁をなくしてただの管と成り果てている,そんな姿で生かされ続けたのだ。もう嫌だ,家に帰りたい,俺はモルモットじゃない。そう言えたのも被爆後11日目に呼吸チューブが取り付けられるまで。一度心臓が止まっても蘇生措置が施され,それ以後は一切の意思表示がなくなった。それでも生かされ続けた。83日間。

 

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 過激な描写,お許しください。上の文章は,臨界事故から3か月ほど経って書いたものに,少し冷静になってから加筆したものです。

 

 その時私は,東海村に住んでいました。と言っても事故の瞬間,いちどきに多量の中性子線が飛び散ったその時には遠い職場にいたのですが。職場にはテレビもないので何も知らず,家に帰ったら頭上をヘリコプターが飛び交って大通りにはパトカーが走り回る大騒ぎの真っ最中でした。

 

 亡くなった作業員の方,本当にお気の毒でした。会社の指示通りに作業しただけなのに。糾弾されるべきは,原子力関係者なら常識のはずの「臨界」に対する警戒を一切排除して,ただ効率だけを求めた会社関係者でしょう。科学の国ニッポンの,最高学府を出た人たちのいる会社ですが,やったことは発展途上国の独裁者レベルでした。もちろんその後ものうのうと生きていたのでしょうが。

 

 ウラン235プルトニウム239などの核分裂物質では,一定量集積すると,一個の原子核が分裂した時の中性子が他の原子核に衝突してまた核分裂を起こさせるという連鎖反応が継続する状態になります。これを臨界といい,ある条件の参考値でいうとU235なら12キロ,Pu239なら4キロの塊にすると臨界です。原子力の研究者は,核物質を集めすぎてうっかり臨界状態になってしまうことをそれはそれは警戒するものです。


 さてこの臨界。厳重な密閉容器の中で臨界を起こさせコントロールし,熱エネルギーだけを取り出すのを原子炉といいます。オープンな場所で遮蔽もなくコントロールもされず,一気にエネルギーを開放してしまうのが原子爆弾。ではこのJCOで起きた臨界状態,どっちに近い?

 

 ミニマムな原子爆弾が緩慢に反応している状態が十数時間続いて,JCO社員の決死隊がこの裸の原子炉をぶっ壊して,ようやく臨界は終息しました。怖かったなあ,住民として。状況を理解している者として。

 

 事故後,被曝を心配する住民がガイガーカウンターを当ててもらって反応がない事で安心するという画像がテレビに流れました。ああ,シロウトはこんなに簡単に騙せるんだと思いました。たとえ致死量の中性子線を浴びたとして,直後なら放射化したナトリウムの反応があるかもしれませんが,数日でそれが排出された後にはなんの数値も出ません。死んでいるのに。

 

 新潮文庫「朽ちていった命 被曝治療83日間の記録」は,実に生々しい被曝患者の治療記録です。致死量の放射線に貫かれた人が,いかに無残な死に方をするのか。放射線とはかくも恐ろしいものなのか。勇気ある方のみにご一読をお薦めします。

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 私は,原子力の利用にはむしろ賛成の立場でした。生まれた時にはもう原子炉があった茨城県で育ち,政府や原子力関係者の「絶対安全」という言説をうのみにしていたからだと思います。しかしチェルノブイリの時の「日本では絶対起こらない」,JCOの時の「民間会社がやったこと」という物言いに疑問を持ち始めていました。2011年以前の段階で。

 

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 事故から半年経った春,カメラを片手にJCOの敷地の周囲を歩いてみました。動植物に影響が現れていないか見るためでした。特に何も変わったことはなく,ソメイヨシノオオイヌノフグリタチツボスミレもいつも通りの花を咲かせていて,ほっとしたものです。もちろん,この時には十一年後にもっとすさまじい原子力事故が起こることなど予想もしていませんでした。その時に私は原子力関係者のもっと浅ましい行動を目撃することになるのですが,それはまたいずれ。

 

 

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